私は10歳から少年野球をやっていて、当然のように中学でも野球部へ入部。その野球部では、顧問の先生が転勤でいなくなり、廃部の危機を迎えた。
みんなで先生に頼みまくり「まったく野球とか知らんぞ!」という教頭先生をむりやり「名前だけでいいから!」と口説き落とし野球部を存続させた。
そんなこんなで強いチームではなかったが、素敵な仲間にも恵まれ楽しく野球をしていた。私は、中学で見事に花開き?3つの高校からスカウトを受けた。
しかし、中3の夏以降ロックバンドを結成してミュージシャンとなっていたため(笑)いずれのオファーも受けず、それ以降40歳になるまでバンドばかりでスポーツからは縁遠い生活を送ってきた。
高校受験という大事な時期に、坊主頭から髪を伸ばしバンド活動に明け暮れていた。今考えてもなかなか度胸のある自分が愛おしい(笑)
ただし、小学校時代から結構厳しい練習をこなし、ケツバットやビンタなど愛のムチは日常茶飯事、お決まりの部活中は水飲んだらダメ!という昭和のディープな世界を経験しているので、とりあえず運動神経は鍛えられていたようで何でもそつなくこなせてはいた。
ただ一番苦手、一番嫌いだったのが走ること。特に
持久走
短距離は速かったがこの種目だけは、他の友達にも明らかに見劣りするポンコツぶりだった。
その経験からか?走ることは私のライフワークから排除され、実に40歳になるまでまともに走ったこともなかった。
そんな私が、ダイエットのために歩き出して、いつしかジョギングを始めた。そのうち、マラソン大会に出るようになり、サブ4もクリア、トレランもちょいと楽しみ、今ではウルトラマラソンの世界で日々チャレンジしている。
おまけに、ジョギングインストラクターの資格を取得して、ジョギング教室を開いてそれを生業のひとつとしているのだから、本当に人生どこでどうなるか?解らないものである。
走り始めて10年目に突入した今、何で走るんだろうということを改めて考えてみる。
走ることはきつい。
5kmだって、10kmだって、フルマラソンだって、100kmだってそれなりにきつい。
特に、ウルトラマラソンなんて身体の異常オンパレードで、実は身体にとってもあまりよくない気もする。歴史ある萩往還マラニックが幕を閉じた理由にも、身体に良くないから…と言うものが混じっている(笑)
もちろん、走ることは身体に悪いことばかりではなく、適度なランニング・ジョギングはストレス解消、ダイエット、健康維持、筋力・心肺機能向上などプラスの効果もたくさんある。
でも、自分の身体を限界まで追い込むこと、辛い思いをしてまで走るのは何故なんだろう?
初めての10km、初めてのハーフ、初めてのフルマラソン、初めての100kmマラソン、初めての173kmマラニック…
どれも、「何でこんなことしないといけないんだ?辛すぎる!」という気持ちがあったのを思い出す。
人生において、これまでに経験したことがないほどの疲労や辛さを全身で感じた。
でも、ゴールしてしまうとその疲労感や辛さの何十倍、いや何百倍もの達成感で身体中がすっぽりと包まれてしまうのだ。
しかも、辛い時間は限りがあるが、その達成感はずっと継続するのである。
・自分には無理だと思っていたことを達成したこと
・周りのみんなから賞賛されること
・そして何よりどんなに辛くても自分自身があきらめずにやり遂げたこと。
この達成感は、日常生活や仕事の中では、そう簡単に手に入れることの出来ないものなのだと思う。
だから、その麻薬のようなマラソンの快感を知ってしまうと、どんどんそれが欲しくなる。
今いるステージで飽き足らなくなると、1分1秒速く走る世界、自然のなかを駆け巡るトレラン、100kmを超えるウルトラマラソンなど常にステージを変えて日々勝負する。
ちなみに、私はビーサンでウルトラマラソン走るという世界にたどり着いている。理由はよく解らないけど、気付いたらこんなことになってる(笑)
そんなことなのかなと改めて思う。でなければ、
きつくてやってられない(笑)
昔、読んだフリーペーパーのエッセイにあった言葉が、私がフルマラソンを目指すキッカケとなった。それは、「あなたが走る理由は?」という取材に対して、一市民ランナーが答えた言葉。
今でも距離の部分だけを都合よく変えて、私が走る原動力として胸に刻みつけている。これからもどんな自分に会えるのか?いつもワクワクしている。
最後にそのステキな言葉を紹介して締めくくりたい。
「42.195kmを走り終えて、その先で待っている自分に会いたい。そのために走るんです」
これかっこいい!
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