3回の中止を超えてようやく開催された四万十川ウルトラマラソン。過去3回完走しており、大好きな大会で痛恨のDNF…
今年は病気オンパレード
もともと高めで経過観察中だった血糖値が一気に上昇した3月。父が糖尿病だったので1番恐れていた事態だが、結局は自らの不摂生がトリガーとなったのだと思う。
早速、投薬開始したものの3ヶ月目に病院を変えた。その際、忙しくて病院に行けず2週間程度薬のない状態となったが、服薬してなくても数値が悪化してないということで薬は一旦中止。
しっかり運動して食事も気をつけて、その後も数値は悪化せず今は投薬フリーの状態で3ヶ月目。来週、通院してどうなるか?
糖尿病があると慢性炎症の状態となり免疫が落ちる。そこに起因するのか?長引く風邪から副鼻腔炎になり1ヶ月半ほどの体調不良。ようやく治ったと思ったら、今度は通風性関節炎発症。
Googleで「天中殺」と検索したくらい、今年は病気オンパレードだ。そんなこんなで納得いく練習はこなせず、痛みが引かないので直前にステロイド関節腔内注射と痛み止めの内服を処方してもらい挑む形となった。
これは言い訳ではなく
自己の不摂生が結局は自分を苦しめるという教訓として受け止めている。今更だか在宅禁酒や食事含め生活習慣改善しているところだ。もはや命が心配になってきた(笑)
過去イチ満身創痍な中、なるようになる!と腹を決めて四万十へ向かう。
懐かしい四万十川ウルトラマラソン
八幡浜から四万十町の往復260kmを8リットル程度で走ったプリウス凄いっ
北九州から特急ソニックで別府へ、別府からフェリーで八幡浜へ、八幡浜からレンタカーと乗り継ぎ、9時間かけて受付会場に到着。この秘境なみの遠さも健在だ。
前回は知識不足で貰わなかったワラーチや裸足ランナー用の計測チップを受け取り、RSタグ装着の不安も解消。
これがあるのとないのとでは雲泥の差
こんな感じでストレスなく装着できる
ここまできたからにはやるぞ!という想いを抱き、2019年大会でスタート前に話してたおじさんが教えてくれたホテルに到着。
土佐ユートピアカントリークラブ
特にカツオのたたきは本場で食べるとおいしかった
車がないと使えないが、温泉あり、広いシングルルーム、食事も豪華と前日の宿としては最高かも。今思えば、温泉ありなのでゴール後の後泊でも良かったかも。ちょっと古いのと虫がたくさん出そうな雰囲気はなんともだか、、、
快調なスタート
恒例の一条太鼓に迎えられ会場入り。今回は過去3回と異なり初めて車だったので少し早めに着き、トイレに並んだりのんびりとスタートを待つ。
まだ真っ暗な中、松明のそばで暖をとりながらスタート地点に並ぶ。
ほどなく、恒例のいきなり号砲。どこまで走れるのか?チャレンジスタートだ。
痛みが出て2週間ほど、まともに走ってないので様子を見ながらスロースタート。違和感はあるもののなんとか走れている。いつも以上に慎重な接地を心がけて進む。なんだかいけそうだとこの時点では感じていた。
前方に見えるあの山頂(堂が森)まで登る、、、
しかし、上りに入ると接地の角度なのか患部が少し痛む。そもそも、着地で一番打ちつける場所が痛いのだから仕方ないかと思いつつ、先の不安がありここぞとばかりに忍ばせていた特効薬を飲む。
日常生活はボルタレンで痛み抑えられてたが、特効薬コルヒチンの出番
しばらくしても何も変わらない。そもそも痛みが出現している機序が違うのか?じっとしていれば効くのか?走っているとなかなか効かないのか?Dr.に処方してもらった特効薬が効果なく一気に不安になる。
いざとなればこの薬飲んで凌ごう!と思いきり頼りにしていた。そう、遠くの親戚より近くの他人くらいの感覚で頼りにしていたのだ。(試してもいなかったけど…)
これは厳しいことになったと、標高857mの堂が森の山頂が遠く遠く感じてしまった。過去3回、走っているはずなのに、
コース変わったん?
くらい遠く感じた。
リタイアへの葛藤
なんとか山頂へたどり着いた。長く感じるのはきっとまともに走れてないせいだろう。山頂からは長い下りが待っている。
毎回キロ7分くらいで最初の20kmきているが今回は20分ほど遅れている。何とかペースを戻しておきたいと、普段やらないのだがリスクを承知で結構なハイペースで下りを走る。
下りでは接地角度の関係かあまり痛くなく途中までは、先ほど抜かされた人たちをごぼう抜きでだいぶタイム縮められるかなと快調に走っていた。
重力もあり走りやすかったが、33kmくらいで四万十川に出てきた頃には、再び足指の痛みとハイペースで下ったことで脚のだるさも強まっていた。
「薬が効かない」ことが想像以上にメンタルダメージだったようで、この先もっと足の痛みが強くなったらそこで終わりだと悲観的な気分になっていた。まだ時間的には余裕があるので大丈夫!という気持ちと、この先この足では厳しいなという諦めモードが交互に襲ってくる。
ネガティブ脳になると身体が動かなくなるのはわかってはいたが、下りを走っていた時のようなポジティブな気持ちがなかなか戻らない。
走れないほどではないものの徐々に痛くなってくる関節とだるい脚を引き下げて進んでいたが、完全に気持ちが切れてしまったのが36.6kmくらいの第一関門エイドを超えたところ。
四万十川を渡った時に収容車が待機していた。ここで辞めるか?と思ったもののちょうど車道沿いの路肩を走るコースで引き返せずにそのまま進む。39km過ぎだろうか?次のエイドに着いたところで、早いタイミングだがこのままでは完走は厳しいと判断して「リタイアします」と申告した。
リタイアからの長い道のり
走りの内容とは裏腹な素晴らしい景色
申告したもののここでは収容できないと言われ(救護車が回ってこないのかな?)次のエイドまで行ってくださいとのこと。2.5kmくらい先ということで歩を進める。
程なく、足が痛そうに歩いてるランナーに遭遇。「大丈夫ですか?」と声をかけたところ、足首を痛めたようでリタイアしますとのこと。
では、一緒に次のエイドまでいきましょうといろんな話をしながら次を目指した。岡山から参戦していたランナーさんで、初四万十ということだったので、私の過去3度の経験なども話しているうちに来年必ずリベンジに来る!と決意されていた。
私もリタイアする分際で、1人のランナーさんにモチベーションを与えられたようでこの大会においてほんの少し役立てたのか?私も彼が松葉杖生活になるほどの痛風発作を経験していたことで貴重な話を聞けてお互いに良き出会いだった。
何のこっちゃ?だが、兎にも角にも次の42kmエイドにたどり着き、そこで正式に申告リタイア。
DNFして笑うな…
ここから救護車で56km関門のエイドに運んでいただき、収容バスが出発するまでの約1時間半エイドの傍で、頑張るランナーたちを応援させていただいた。
教室から参戦した3人中2人にも会えて、
「何しよん!?」
とか言われながらもゴールで待っとく!と声をかけ、バスに乗った。ランナーの走る車幅程度の狭い道路をバスが進むため、ゴールまで思いがけず2時間ほどの旅。隣になった方といろんな話をしながら過ごした。
ゴールで感動のお裾分け
バスの車窓から雄大な四万十川の勇姿をパシャリ
今回から距離調整でこの沈下橋の先を往復するように変更されていたようだ
行方不明だったもう1人も50kmでリタイアしており、搬送後程なく合流してゴール応援に向かう。これまでは99km地点で熱い声援に毎回感動していたが、今回は応援する側だ。
「お帰りなさい」と声をかけていると、ここを走るランナーの気持ちがわかるだけに自分が泣きそうになってしまう。その後、ゴールゲートまで移動しながら声がけを行なった。
ここまで100km走ってきたランナーに尊敬の念を抱くと同時に、彼ら彼女らの満面の笑みや涙を見ていると、やり遂げることの素晴らしさ、そして何より自分に対する腹立たしさや悔しさが渦巻いてきた。
元気にゴールに飛び込んでくるランナーもいれば、フラフラな状態でゴール後スタッフに抱き抱えられるほど憔悴しているランナーもいる。みんな全力で闘ってきたのだ。その姿がどうであれ「あっぱれ」の一言に尽きる。
一説によると、100kmウルトラマラソンをゴールする成人人口比(15〜65歳)として、7500人に1人と言われている。確率にして、0.0001%であり超満員のドーム球場に4〜5人、宝くじの1等組違が当たるくらいのレアさだ。
スゴイことにチャレンジして、スゴイことをやってのける人たちが集まっている空間だとしみじみ感じた。
四万十川ウルトラマラソンは素晴らしい
終了後の花火も前回より盛大だったような
やはり、ゴールゲートに飛び込んでこそ価値がある。個人的には、外資系の環境下で生きてきた時間が長かったせいか?プロセスに対する価値観はあまりなく、やはり結果がすべてだと思っている。すなわち、0か100かどっちかだ。その意味で今回の参戦は0点であり自己管理のできなさを深く反省するに至っている。
今回ばかりは病気も関わっているので、主に生活習慣の改善を真剣に始めている。結果が出るまでやらないとマラソン走っている場合ではなくなりそうだし、命の危機感からスイッチはしっかりと入っている。
そして、42kmという中途半端な中でも4年ぶりの四万十川ウルトラマラソンらしさは感じ取ることができた。特にボランティアの方々が500mくらい?毎に立って声をかけてくれるところや、エイドでのおもてなしの雰囲気も最高だった。
自分の経験で言うと、80km以降の沿道応援を体験できなかったのが心残りだが、ボランティアスタッフの数も従来より減っていると聞いた中では素晴らしい運営健在だと感じた。
コロナ後はウルトラ3連敗で気持ちも上がらない中、また鍛え直していつの日かリベンジに参戦したいと考えている。
そう思わせてくれた四万十の皆様、ありがとうございました。
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