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十五番札所は一体どこに?帆柱新四国霊場巡りで気付いたこと


足腰の鍛錬にももってこいなコースだと聞き、マラソン練習を兼ねて篠栗のお遍路巡りを始めた2021年。これが意外なライフワークに発展しそうな予感が…!?

お遍路って何?

『白い衣装を着て四国にある八十八箇所のお寺を巡礼していく』これが、私が思っていたお遍路の唯一の知識だった。仏教にも疎く信仰心もなく(ちなみにうちは浄土真宗であることくらいしか知らない)ほとんど興味もなかったが、お遍路に触れるにつれて少し勉強するようになった。

お遍路を簡潔にいうと、弘法大使(空海)が修行した八十八の霊場を辿って巡礼することであり、お遍路する人をお遍路さんと呼ぶ。

四国4県に及ぶ巡礼の旅は約1400kmにも及び、札所を全て巡拝することで願いが叶ったり、弘法大使の功徳が得られると言われている。

特に信仰に関わらず、さまざまな祈願、供養、自分探しなどその目的も多様化しており、コロナ禍になって始めた方も多いような気がする。もちろん、私もそのひとりだ。

ただ、四国に頻繁に行って巡礼するというのも時間・お金がかかり現実には行きたくてもいけない人が多い。そこで、全国各地に四国霊場を模した霊場が造られ、他四国、島四国などと呼ばれている。四国ではなくとも、四国霊場と同等のご利益が得られるようにと願いを込めて「四国」の名前が使われてるらしい。

私の住む福岡県には結構多くの霊場があり、その中でも現在巡礼中の篠栗霊場に行き始めたのだがいろいろと情報を調べているうちに、地元北九州にも霊場があることを知り巡礼を始めた。

帆柱新四国霊場の魅力


帆柱新四国霊場 一番札所の高祖寺

我が街、北九州市にある帆柱新四国霊場については、長崎街道の宿場町として栄えた木屋瀬付近から街道を沿うようなルートで戸畑までとかなり広範囲に札所が整備されている。

篠栗霊場は比較的狭い範囲の中で八十八箇所巡れるのだが、こちらは移動距離が結構ありそうだ。図書館で数少ない資料を確認したところ、昭和64年(平成元年)ごろに90周年記念史が発行されていたので、計算すると123年前に開創されたということになる。

そんな歴史ある霊場を巡り、お世話している人のおかげでいい状態を保っているお堂もあれば、人がなかなか来れないような秘境ぽいところにあるお堂などは朽ちていたり、大雨で流されていたりするところもある。

想いを込めて造った人たち、これまで多くの方々の手によって100年を超え維持されてきたであろう史跡に触れるにつれ、どんなドラマがあり、どんな歴史を辿ってきたのだろう?とロマンを感じるようになってきた。

お寺が札所となっていることが多い篠栗霊場に比べると、帆柱新四国霊場はお寺よりもお堂の比率が高く、看板などもないので探すのも苦労するがそれがまたいい。

そんなロマンを追う気持ちと探索欲が相乗効果を示したのか?一気にハマってしまって空き時間さえあれば巡っていたところ、約2ヶ月もたたないうちにほぼ全ての札所(八十七箇所)を巡礼したがミステリーが残っているのだ。

十五番札所は一体どこに?


十四番札所 遍照院 高台できついけど見晴らしがいい場所

八十八箇所を巡る中で二十四番、四十七番、五十一番、六十一番などいくつか札所を示す看板やご本尊が確認できないところがあった。


七十番札所はお堂が倒壊してなくなっている

札所の看板がお寺やお堂の中にしまってあったりすると、表からは確認できないので仕方ないと思う。しかしながら、ミステリーがひとつ。

十五番札所の所在が不明となっているのだ。

春の町にあったお堂がいまどこにあるのか?移設されたのか?もしくは消滅してしまったのか?私よりも早くから調査している方もおられるようだが、未だ歴史ミステリーロマンとなっているようだ。

十五番札所がいまどうなっているのか?諸説あったようだがきっと先人の方々が調べていると思われることを考えると、その説は違ったのだろうと推察できる。

そんな中で気になる場所があり確認に行ってみた。

皿倉山にある謎の場所!?


車道1合目の標識看板から10〜20m先の皇彩の森コース入口から入っていく

よく登山やトレーニングで皿倉山の車道を通るのだが、途中八十八のお砂踏場や石仏がたくさん祀られている場所がある。

何度か入ったこともあるが当時は興味本位だけで、一体何なのか?気にも留めていなかった。しかし、その下の方にもお地蔵さんが祀られている場所があるという情報をネットで見て確認に行ってみた。

早速、修行大使像があった。近くを通ったことがあるが全然気付いてなかった。さらに上に行くと、法輪禅寺の木札とともに多くのお地蔵さんが祀られていた。


法輪禅寺は高野山真言宗のお寺だったという記事を見た

この傾いた建物には既に誰も住んでいないようであり、玄関前の木札に何か書いてあったが判読不明だった。この建物が法輪禅寺なのかも!?

修行大使像、付近にお砂場踏み場などお遍路に繋がるものが点在していること。もしかしたら、十五番札所はここに移設されているのではないか?と思い、皿倉山ビジターセンターに立ち寄り話を聞いてみたりしたが、結局有力な情報は得られなかった。

*2021/11 ある方のブログで十五番札所らしき場所を発見・確認したという情報あり。諸事情でまだ公開はされていない。

ライフワークのひとつとして


所在不明のお堂もあれば、十二番札所のように新たに立て直されている札所もある

お遍路巡りを始めた当初は自分のことばかり祈願していたが、途中から「コロナ禍で混沌とした世の中が、元の平穏・平和を取り戻せますように」と祈願するようになった。

少しばかり煩悩が減ってきたのか?(笑)

古の道を歩き、歴史に触れるにつれ、貴重な史跡の保存活動や周知活動に微力ながら協力したい気持ちが芽生えている。

十五番札所の調査を含め、今後のライフワークのひとつとして探求してみたいと思う。

*まだ未完成だがMaplifeにアップして整備し始めている↓
帆柱新四国霊場 Maplife

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