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マラソンがやめられなくなるメカニズムって何だろう?


マラソンを完走するためには、練習による脚力や心肺機能の強化のみならず必要不可欠なものがある。

もう無理だと諦めそうになっても奮起したり、再び脚が動くようになる不思議、沿道で応援していてもランナーに元気をもらい感動する不思議。

これには一体どんな心理が潜んでいるのだろうか?

マラソンはメンタルスポーツ

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言うまでもなくメンタルがその成果を左右する要素の多いスポーツの代表格がマラソンだと思う。

アスリートであり、ライバルが存在しても結局最後は自分との勝負、市民ランナーであればなおのこと自分と対峙し勝負するステージなのだ。

大人になると、なかなか自分の未知なる力を信じて、心身ともに限界まで追い込むということは少なくなるもの。

他にもたくさんのスポーツはある中で、誰でも比較的始めやすいマラソンは自分と対決する最適なスポーツなのかもしれない。

大掛かりな道具や準備が必要ない代わりに、「自分に負けない」という強力なメンタルを要することもマラソンの難しさであり、楽しさでもあるのだ。

そして、そのメンタリティは自己で高めていくだけではないようだ。

沿道からの声援が脚を動かす

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ホントにもう走れない?

マラソンを走ったことのあるランナーであれば、沿道から寄せられる絶え間ない声援や家族・友人からの応援の声に元気や力をチャージしてもらった経験はあるだろう。

不思議なもので、もう走れない、限界だ、リタイアしようかな?…などと感じていても、沿道からの応援で再び力を得て脚は動くものなのだ。

これが器質的な故障やケガによるものであれば難しいかもしれないが、その多くは自分とのメンタル勝負に負けそうになっているだけなのだ。

自分に勝つ

「もうきついからやめよう」「次のレースで頑張ればいい」などと呟いてくるもう1人の自分が存在し、メンタルコントロールの主導権を奪われかかっている状態を経験した事のあるランナーは少なくないだろう。

そんな時に、沿道からの声援や仲間からの励まし、笑顔を見ると、さっきまでのネガティブな気持ちが吹き飛び、ポジティブになり足が軽くなる。

不思議なことだがそんな経験は私もざらにある。まさにマラソンがメンタルスポーツと言われる所以だろう。

人間は脳からの指令により、身体の各機能をコントロールされている。逆に言うと、メンタルをコントロール出来るようになると、自分が思っている以上のパフォーマンスを発揮できるものなのだ。

ランナーの頑張る姿が心を動かす

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応援するつもりが…

一方、応援のために沿道に立ち、声援を送っていても不思議な現象が起こる。目の前を通過するランナーに声を掛けながら言葉のキャッチボールを楽しむことはもとより、ときにウルウルしてしまうほど感情を揺さぶられるのだ。

特に、苦しそうなランナーや一生懸命に頑張っていることが伝わってくるランナーではその傾向は顕著に現れる。

伴走者とともに走るチビッコランナーや、様々なハンディキャップを負いながらも必死に頑張っているランナーの姿にはひときわ心を強く動かされる。

ミラーニューロン効果?

ミラーニューロンという心理学の概念がある。

マラソンで言えば、目の前を走り抜けるランナーの辛さや苦しさを、まるで自分のことのように共感してしまうというところだろうか?

スポーツ観戦で手に汗握る…という光景があるが、あれがまさにミラーニューロン効果だろう。

自分がやっているわけではないのに、さも自分がやっているかのように感じることで、脳から緊張の指令が出てきて「手に汗握る」のである。

マラソンの応援でも、応援に来たのに気付いたら頑張っているランナーから勇気や元気をもらい、モチベーションをお土産に持って帰ることも多々あるのはミラーニューロン効果の仕業だと思う。

 

マラソンは山登りみたいなもの?

なぜ人は走るのだろう?

フルマラソンを例に挙げると、42.195kmも走るのは確かに辛いし、きつい。しかし最近では、抽選倍率を勝ち抜き、そう安くもない参加費を払ってまで、マラソンを走りたい人が増えている。

単純に考えると、何できついことをするためにお金と時間を使ってまでやるの?と思ってしまうが、そこにはマラソンに参加した人にしか見えない特別な世界があるのだと思う。

走っているときは、「もう二度とやらない!」と後悔の念にさいなまれていた人でさえ、ゴールした後にはまた走りたい!と感じている人が多いのである。

これがマラソンの持つ不思議なパワーであり、麻薬のようにマラソンを自分のライフスタイルの中に取り込む原動力になるのだろう。

自分に負けないという強い気持ちや沿道からの心温まる応援をうけて何とかゴールしたその先には、とてつもない達成感や自分を誇らしく思える清々しい気持ちが両手を広げて待っているのだ。

ゴールまでの道のり

山登りではいきなり山頂に立つ手段はない。そこにたどり着くまでには、足場の悪い場所や難所もあり、きつい思いをしながら1歩1歩進むことが唯一の手段だ。

でも、困難に立ち向かい自分を奮い立たせながらなんとか山頂へ到達して眼前に広がる絶景を見た途端に、それまでの苦しい思いやきつさはスッと消え去るのだ。

マラソンも同じように誰かが手を貸して助けてくれるわけでなく自分ひとりで闘うスポーツだ。ゴールにたどり着くまでには、個々のドラマがあり、それぞれに心の葛藤がある。心が折れそうになる自分との対決のみならず、思いがけないトラブルや脚の痛み、体調不良などなど…。

しかし、そんな時に沿道から受ける声援は大きな力を与えてくれ、自分でもビックリするくらいに脚を動かしてくれる。そして無理だと思っていたことを少しずつクリアしていく自分に気付く。

そんなプロセスを辿るからフィニッシュゲートの向こう側に大きな感動が待っている。スタートした時よりも確かに強くなった自分がそこに居るのである。

おわりに

マラソンを走るには、それが42.195kmであれ、10kmであれ、100kmであれ、ゴールを目指して走ることは同じである。本人にとっては、そんなに容易くないゴールであることがほとんどだ。

スムーズにいけるときもあれば、いけないときもある。途中でリタイアを余儀なくされることもある。

しかしながら、ゴールの向こう側の世界の心地良さを知っているランナーは、再びその感動や達成感を求めて次のレースに挑むのだ。

と勝手に解釈しているが、少なくとも私自身はその向こう側で待っているはずの自分と出逢えることが楽しみで、今もマラソンを走り続けている。

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