2年ぶりとなる四万十川ウルトラマラソン。前回の感動がいまだ脳裏に残る中、今年は運よく当選しての参戦だ。
今年はどんなドラマが待っているのか?心躍らせながら当日を待つ。今回は報知新聞社の依頼により写真を撮りながら走ったので、四万十川の風景やレースの模様もご紹介します。
四国にご縁あり?
2年前に初めて100kmウルトラマラソンに参加したのが「四万十川ウルトラマラソン」。
どうせ出るなら、「東のサロマ 西の四万十」と言われるメジャーな大会に出てみたいとエントリーしてみたらビギナーズラックか?当選して走ることが出来て、私のウルトラマラソンへの挑戦がスタートした。
その後、広島の福山から愛媛県今治市までを走る「しまなみ海道100kmウルトラ遠足」にも参戦し、何かと四国に縁があるようだ。
今年参加した「周防大島スーパーマラニック」も瀬戸内海なので関係ないけど四国に近い。
四国といえば”お遍路さん”で有名だが、四国の人たちはお遍路さんを「お大師様と同じ」「仏様と同じ」存在として扱うという。
人とのコミュニケーションが希薄になりつつある現代社会において、「おもてなす」風習があるそんな地域的な気質も「四万十川ウルトラマラソン」の代名詞ともなっている「人の温かさ」にもつながっているのではないかと強く感じている。
レース前日
この大会で一番の問題は完走の不安とともにそのアクセスである。どこからどう行ってもかなりの時間を要する「秘境レベルのアクセス」のため、それを敬遠して参加を躊躇している人も多いようだ。
でも、そういう場所だからこそ素晴らしい自然も残っているともいえるわけで…
移動中、車窓から見えてくる四万十川の美しい流れと山々とのコントラスト、そのスケールの大きい景観に心奪われながら、受付会場への長過ぎる?旅を楽しむ。
こんな列車も…
今回は昼過ぎには受付会場へ到着。早速、地元の学生が作ってくれた名物のペインティングされた石をひとついただく。
力作ぞろいの中からこちらをいただく。素晴らしい!
その後、受付を済ませ物販ブースでうろうろしていると見覚えのある顔が…
史上最年少サロマンブルーでお馴染みの「鈴木建司さん」でした。ツーショットをパチリ♪さわやかで素敵な方でした。同じ匂いがする。。。?
早めに宿に入り明日に備えて休養しようと思ったけど、ホテルのオーナーが家族的な方でいろいろと話をしていると自転車を貸してくれるというので、明日の移動確認も含め駅までチャリンコでルート確認に向かう。
このあたりは、ホントに真っ暗になるので確認しとかないと危険なのである。案の定、レース後帰る際に道に迷ったほど・・・
心強い応援団
大会資料と一緒に送られてくる地元小・中学生からの応援メッセージやペインティングされた石など…
大会前から大きな力をくれるのも、この大会ならではの素敵な演出だと感じている。
また現在開催している教室の生徒さんたちからも、嬉しいサプライズを演出していただき、改めて気合を入れることが出来た。皆さんのお気持ちに答えるためにも頑張らないと!
ホテルへチェックインすると嬉しいことにサプライズお守りが届いていました。と同時に「覚悟を決める」ということが大事だというメッセージも添付されて…
覚悟?
気合が入りすぎて?2日前に交差点で派手に転んでヒザに大きな傷を作ってしまい、前日借りたチャリンコのブレーキがあまり利かずまた転び…
どこかで逃げ気味になっていた私もこれをみて、とにかく完走だけはしないと!と腹が決まる。Kつちさん、ありがとう!
それからFBやLINEで多くのメッセージをいただき、皆さんに力を充填していただき感謝するとともに、明日は2時起きなので21時には床につく。
22時過ぎまで寝れなかったけど、動かずじっとすることも大切という記事を書いたばかりだったので、気付かぬうちに眠りに入ったようだ。
レース当日~スタート
3時に宿泊ホテルを出て駅へと歩き出す。空を見上げてビックリ!!住宅地にも関わらず星空のきれいなこと。。。
市街地でもこんな星空を眺められるなんて住んでる人が羨ましいなと思った瞬間だった。
3時40分宿毛駅初の臨時列車に乗り、中村駅へ移動。駅からは周回バスに乗りスタート会場へ到着!
今年も早朝から「土佐中村 一條太鼓」で盛大にお出迎えをいただき、松明の火がメラメラ燃える様子を見て、自らのモチベーションも高めていく。
やはりこの場所まで来ると昨日までのわずかに残っていた不安はどこへやら?やるぞ~!という気持ちが全身にみなぎってくる。
今年は、自分と向き合い勝負するレースは、この「四万十川ウルトラマラソン」1本のみ!
あとはファンラン&応援のレースシーズンだ。2年前、同レースで出した12時間12分(ネット12時間10分)という100kmの自己ベストを更新するという目標を立ててスタートゲートへ並んだ。
痩せた効果あり!?
・スタート~20km(2時間18分10秒 6分54秒/km)
10分前くらいまでトイレに並んでいて、もちろんノーアップ・ノーストレッチだ。
ウルトラはこんな感じでいいのだとますます感じている今日この頃。体力温存には余計なエネルギーは使えないのである。まぁストレッチくらいはしといたほうがいい気もするけど…
例年のごとくカウントダウンもなく突然の号砲でスタート!
いよいよ100kmという自分を超えるための旅が始まった。どれだけ決めたことをやれるか?苦しくなってもどれだけあきらめずに走り続けられるか?
自分との我慢比べの始まりだ。
・思いがけず好調!?
1km地点にいたおじさん衆から「ゴールはもうすぐ!たった99km先!!」という無責任な?応援にも笑顔で答え、スタート早々にリラックスさせていただいた。
まず最初の20kmは600mの山を越える区間だ。北九州の人なら皿倉山を超えるイメージを持ってもらうとわかりやすいだろう。
キロ7分で進む予定だったものの自然に任せていると、6分30秒/km前後で推移しており呼吸や心拍も問題なかったのでそのままのペースで走る。
予定よりも速く進むも、途中トイレで3~4分ほどロスしたのと16kmくらいからの急勾配でペースが落ちて、結局目標どおりのペースに落ち着いた。
しかし、結果は同じでも明らかにペースの余裕度を感じることができて、このまま行けるところまで行ってみようと心に決めた。
レース前に糖質制限でかなり絞ったボディの効果が出たのかな?
暑くなりそうな予感!?
・20km~40km(2時間9分58秒 6分28秒/km)
約600mの標高を駆け上がり、最初の大型エイドである20kmエイドで少しだけ補給。今回は、アミノ酸とクエン酸を10kmごとに補給して体調をキープする以外は何も用意していない。
個人的にエネルギージェルや各種サプリメント類などは気休めとしか思っていないのと長丁場では身体のバランスキープのほうが大切だと感じている。
この大会は2.5kmごとに水エイド、5kmごとにスポドリ・コーラ・軽い補給食、20kmごとにおにぎりなども登場する大型エイドが設置されていて、ここの補給でたいてい事足りるのもありがたい。
エイドを出てすぐ山頂を迎える。ここからは約10kmの下りが続く。
脚の疲労を抑えるため慎重に下るもキロ5分台のペースが頻発。そして山を下った先に、ようやく待望の四万十川とご対面だ。
ここからはその雄大な流れとともに走り、上から見ていても水が透き通っていることがわかり、さすが最後の清流と呼ばれるだけのことはあると感心する。
しかしながら、天気がよく暑くなりそうな予感が…予報は26℃、当日60km付近の江川崎では
29.8℃
が記録されていた模様…マラソン走るには危険な気温だ。
下り坂は上手にクリアできたが、暑さに対応しないといけないとぼんやり考え始める……
少しずつ異変が…?
・40km~60km(2時間27分35秒 7分22秒/km)
順調なペースで40kmを通過するも、2年前と違って予想気温が高い。私が初めて参戦した2013年8月に41℃という日本観測史上の最高気温を観測した四万十市。
一抹の不安を嘲笑うかのように強い木漏れ日が木々の間から射し込んでくる。
幸い四万十川ウルトラマラソンのコースは日陰になってる部分が多いのでまだ助かるが、やはり時間が経つにつれ”暑さ”を感じてきた。
早朝と夕方以外、すべてのエイドで頭から被り水をして体温上昇を防ぐ。
そして、脱水リスクを考慮して水分もしっかり摂っていくもののこの調整が失敗だった。マラソン中も飲み会も飲み過ぎはよくないのだ。
以前も「しまなみ海道100kmウルトラ遠足」で雨上がり&29℃という酷暑コンディションを走り、体調を壊したが、そのときの反省も活かせず同じような環境下でまたやってしまった。
水分摂取と排出量のバランスが取れなくなってしまい、自分で苦しい状況を作ってしまった。
・水分補給の目安とは?
一般的に、腸が1時間に処理できる水分量は平均して600~800mlと言われている。このレースは2.5kmごとに水分補給が可能であり、暑くてのどがカラカラになるので飲まないわけにはいかない。
しかし、冷静に考えると私の走っているペースでは1時間に3~4回(特に40kmくらいまで)は給水をしてるため、1回当たり200ml以上摂取するとMAXだ。
普段は給水所のコップを取れば、半分くらい捨てて飲んでいるので少ないほうかな?しかし、暑いとそうはいかない。のどが乾燥して飲みすぎてはいけないと思いつつもつい飲みすぎてしまう。
その結果、処理しきれない水分はどんどん胃に残っていき、気付けばカエルのようなぽっこりお腹に…
しかも走っていると、振動で揺さぶられてボコッボコッと隣の人に聞こえるほどの音がする始末。
もうこの状態になるとダメだ。おそらく胃が大きく揺れることで横隔膜が引っ張れてるのだろう。軽い脇腹痛に加え、腹部膨満感があり食べ物を受け付けられない。
結局92kmくらいまで固形物はほとんど何も食べずに進んだ気がする。身体に脂肪が豊富にあってしのげたのかも?
この給水量に関しては、ジョギングインストラクターの講義でも習っていたはずなのに、実践できずもう少し対処法を考えるべきだったと反省しきりだ。
多いときは1箇所で水、コーラ、スポドリ、コーラおかわりなんてしてしまい、この致命的なミスでこの先苦しめられることになるのだから。
でも、その後いろいろ検証してみると結局はたくさん飲んだ割りに脱水していたようです。
あきらめない!しんどいのは気のせい!?
・60km~80km(3時間9分41秒 9分28秒/km)
61.7kmのレストステーションについても食事補給は出来ず、トイレに駆け込んで何とか排出しようとするも思うようにはいかない。
この区間はおそらく10回以上トイレに行ってるはずだ。WCの看板を見ると全部入っている。エイドごとに給水して頭から水被ってWC行って…
なんと忙しいマラソンだ!
頻尿のように尿意を催すもののトイレに入るとほとんど出ない…走り出すとすぐ尿意。その繰り返しでトイレロスの時間だけが積み重なっていく。
お腹も相変わらずパンパンで走ったり歩いたりでつないでいく。それに加えて、暑いはずなのに腕に鳥肌が立ちだした。日陰に入って汗冷えしてるのかな?と思っていたが・・・
あとからそのときの状況とあわせて考えてみると、低血糖状態の始まりだった!?食事や栄養素の補給が出来ていない影響も出てきた。
・逆境を支えてくれるもの
胃の不快感+出ないのに頻尿+低血糖、こんな3重苦と知らずに無謀にも闘っていたようだ。
さすがに糖分不足かな?と思い、ちょうどエイドにあった糖飴をごっそりとって2個ずつくらい口の中に入れて溶かしながら走る。
苦しい状況でもあきらめずにゴールを目指したのは、応援してくれる人がいるからに他ならない。ひとりでやってればとっくにやめてるくらい辛い時間だった。
目標としていた12時間きりも潔くあきらめ、ゴールすることを目標に切り替える。
このときの私にはレースを諦める気持ちはさらさらない。そう、支えてくれる人たちの想いとやると決めた「決意」に勝るエネルギーはないのである。
目標を切り替えて時間的にも余裕があったので、歩いてでもゴールまで行こうと歩を進めていく。日中の暑さと発汗が進んだのか75kmくらいで胃の不快感は消失した。
見た目にもカエル腹がスッキリしている。よし、これで走れる!糖分をなめていたおかげで元気もチャージされてきたようだ。
そこからは別人のような走りで快調に走ることが出来た。なんとゴールまで・・・
復活の走り!
・80km~90km(1時間22分35秒 8分15秒/km)
胃の不快感とハンガーノックからは回復したものの、尿意だけはずっとつきまとう。気になるから時間がもったいないけどトイレに行く→数滴しかでない→出らんやんけ!と走り出すと100mも行かないうちにまた尿意…。
これにはほとほと参ってしまった。一体なんなんだろう?
2年前は80km過ぎで、名前を呼んで声をかけてくれた女性がいて涙腺崩壊したわけだが、今年は80km以降名前を呼ぶ人はほとんどいなかった。
四万十らしさがない気がして、なんだかちょっと寂しい気分になりつつも、快調に走り続ける。
子供からお年寄りまで様々な世代の方が、それぞれ楽しみながら応援してくれるのが四万十カラーだ。ただ応援するのではなく応援を楽しむことを四万十の人たちは知っているように思える。
沿道のみならず、ボランティアスタッフ、交通整理スタッフ、走っているそばを通過する車からも「頑張って!」という声を多くいただいた。
町をあげて「たの四万十!」を実践している様子がとてもほほ笑ましく力を与え続けてくれる。
感動のステージはここにあり!
・90km~100kmゴール(1時間14分54秒 7分27秒/km)
そして90kmを迎えるころになると、沿道の応援の人が増えてきた。ありゃ、毎年、ポイントを変えてるのかな?なんて思いながら、このエリア特有の「お帰りなさい!」コールで癒されつつ「ありがとうございます!」と会話のキャッチボールを楽しむ。
90km過ぎても元気に動く脚に、我ながらビックリしつつもエイド以外はペース落さないように気をつける。軽快に走っている間にも沿道からの熱い応援は続いており、家族やお店ぐるみでの私設エイドも増えてきた。
ここからゴールまでは不思議な力が沸いてきて、6分40秒くらいにペースを上げ、歩いてたり完全にペースダウンしてるランナーをゴボウ抜きしながら進む。
通常94kmくらいからペースアップできるとは考えづらいのでもしかしてランナーズハイだったのかも???かなり気持ちよかった。
・四万十の人たちが助けてくれる
快調なペースで95km付近を走っていたとき、ふとその瞬間は訪れた。沿道で手を振ってくれる6~7名のおじいちゃん・おばあちゃん達に「ありがとうございます!」とお礼を言いながら通り過ぎようとしたときに、ひとりのおばあちゃんが、
「お帰りなさい。よく頑張ったね。」
と言ってくれた。この言葉自体は他の場所でも言われていて、嬉しいながら珍しいフレーズではない。
ただ、そのおばあちゃんは自分の子供や孫にやさしく言葉をかけるように私に向かって言ってくれたのです。一瞬「ありがと…」と言いかけるも、熱いものがこみ上げてきて言葉を失ってしまった。
気がつけば涙がとめどなく溢れてきた。
極限まで自分を追い込んでいる時にやさしい言葉をかけられると、それだけで自分の感情がコントロールできなくなる。
四万十の人達が沿道から多くのランナーに感動や勇気を与え続けているのは、ランナーが何を望んでいるのか?をよく知っているのではないかと思う。
”なぜだろう さっきから 走っているだけで涙がとまらない”
これは今回の大会ホームページに登場した言葉だ。一度でも参加したランナーはこの言葉の意味がわかるはず。疲れ果て気力で走っているランナーに必要なのは、エネルギージェルでもエアサロンパスでもない。
温かい心のこもった言葉…
これだけでランナーの脚は再び力を得て動くのだ。
そしてそれを至るところで実践してくれる四万十の人達がいるから、ランナーも元気や勇気をもらい自分の力量を超えた走りが出来るのだと思う。
おばあちゃん、ありがとう。
・ゴールへ
おばあちゃんの言葉にいっそうの元気をもらい、ますます元気にゴールへ向かって走る。辺りは暗くなってきて2年前は通過タイムの関係でもらわなかったペンライトを受け取り走り続ける。
途中、ゆずの「栄光への架け橋♪」「負けないで♪」などをラジカセで大音量でかけてくれている方もいて演出もバッチリだ。
あと3km、あと2kmとますます快調に走れている。これは完全にランナーズハイだ。
そしていよいよ99kmの看板にたどりついた。なぜだかゴールよりもこの看板を探していた気がする。ここは結構な登り坂なので無理せず歩きながら登ることにしていた。
そしてクライマックスともいえるこのラスト1kmは、沿道の人々の応援・声援も盛大な、さながらビクトリーロードだ。
「お帰りなさい」「ナイスラン」「あと少し、よく頑張った!」と絶え間なくかけられる声援に2度目のウルウルタイム。見ず知らずの人達が一生懸命に応援してくれ、それを受けて感動する。
応援する人もランナーの頑張る姿に感動する。自分でも意識してはいないが、やはり心が通じ合う瞬間がある不思議なご縁に感謝だ。
坂を登りつめたらゴールへ向かって今度は下り坂を走る。普通なら絶対にしないのだが、毎回ここはダッシュしてしまう。ピッチ走法など関係なくストライド広げてスピードを上げて下っていく。
住宅街を抜けてゴールの中村高校へ。異常に元気なので、前にいた2人を抜かしてゴールしようとダッシュしてみたが、みんな同じようなことを考えていたようだ…抜けない
ゴーーーール!
結局、ひとりでゴールテープを切ることは今回出来なかったけど、気持ちよくフィニッシュゲートを通過することが出来た。
苦しい時間を経験したことと、当初の12時間切りという目標は達成できなかったが、最後の最後に決めたラスト6kmのビルドアップをこなせたおかげで、都合よく”いい思い出”にすり替えることができた。
終わりよければすべてよし!ということだ。
ゴールゲートを振り返り、このレースの開催に携わるすべての人たち、ボランティアスタッフの方々、沿道で応援をしてくださった四万十の方々、そしてSNSなどで応援して下ったすべての方に感謝の気持ちを込めて一礼。
今回の記録はウルトラではセカンドベストとなる12時間46分14秒。60km~80kmの魔の時間に苦しかった分だけ目標よりもオーバーした形だ。
しかし、、、
やっぱり四万十川ウルトラマラソンは最高だ。こんなにも熱い応援や素晴らしい運営の中で走らせていただける大会はそうないと思う。少なくとも私の経験の中では…
心折れそうになっても心からの温かい応援をしてくれることで脚が動く。大きな市民マラソンのように、誰に向けるでもない声援ではなく、もっと身近にダイレクトに触れ合える。
そんなところにランナーも惹かれて、人気の大会であり続けているのだと思う。
おわりに
ずっしりと重みがある。頑張った分だけ重みがある。
2回目の四万十川ウルトラマラソン、トラブルも課題も多い結果にはなったものの、自分の持つ力をしっかり発揮できたと感じていて、思いのほか満足感・達成感を得ている。
また来年も抽選にエントリーしようと思っているし、また走りたい。
マラソンはこれでいいと思う。
結果がすべてではなく自分がどう対処したのか?
弱い自分が顔を出したときに打ち勝ったのかどうか?
後悔しないで終えることが出来たのか?
そこに自分の成長を確認し、反省したり喜んだり…と一喜一憂する。
誰と競うでもなく自分との勝負だからそれでいいはずだ。
今回の完走記も、トラブル発生時の心の揺れ動きや具体的にどうやって対処したのか?など詳細を書こうと考えていたが、途中からそんなことはどうでもよくなった。
次もまた走りたい!
この感情が得られれば今回の参戦は100%成功なのだ。
そして、そのモチベーションを喚起するために必要なものは、反省の中にはないと考えている。実際に100キロという距離を走り終えて、その先にいる自分がまた走りたいと言っている。
これ以上に確かな動機はないはずだ。
追記 2016/3/4
尿が出ないなどの異変はコレだった気がします。
コメント
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Keep these artlices coming as they’ve opened many new doors for me.
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